診断を受けた日
※私の個人的感想、当時思った事をそのままストレートに表現しています。気分を害される方がいらっしゃるかもしれません。私自身がその偏見をなくしたいと闘っている最中ですので、ご理解いただきたいと思います。閲覧は自己責任でお願いします。
発達検査をしたのは今年の9月、2歳8ヶ月の時です。
今でも思い出すとなんだか動悸がしてきそうな程、診断結果を聞いた時はびっくりしました。
きっかけは区の子育て支援課に「最近息子が食事を座って食べてくれないのでどうしたらいいか?」と相談したことでした。
食事の事以外に気になることはあるかと聞かれたので、「プレ幼稚園で私のそばから離れて走り回る時がある。」と話しました。するとすぐに「療育センターで相談してみましょう。」と言われました。私は内心「え?そんな療育センターに直行するほどの行動??」って疑問にも不安にも感じました。
それから数日後、療育センターで心理士さんによる発達検査、医師による診断がありました。
検査の内容は息子と心理士さんが何か道具を用いながらやり取りをするもので(検査の方式の名前はわかりません)、所要時間は1時間くらいでした。離れて見ていた感じだと、ほとんどできていたと思います。先生の真似をして折り紙を折るのと積み木を車に見立てて詰むのだけはできませんでした。(この時私は呑気に折り紙は初めて触るからできなくても仕方ないと思ってました)
その後医師との面談でした。息子はその間看護師さんとおもちゃで遊んでいました。(この時はこの息子の行動に問題があるとは思っていませんでした)
その時言われたのは、
「息子さんは1対1だとコミュニケーションが取れるが、そこにもう1人加わると(三項関係?)コミュニケーションをとるのが苦手のようです。でもこれは今後ずっとできないというわけではありません。」
「それで、こういう苦手な部分に名前をつけると、自閉症スペクトラムといいます。」
言われた瞬間頭は真っ白で、心臓は早鐘を打つようにドクドクうるさく、むしろ口から心臓が出てきそうなくらい苦しかったです。他にも色々と言われましたが動揺しすぎてあんまり覚えていません。
正直に「先生、ちょっと待ってください。ちょっと突然のことでびっくりしすぎて、今何を言われても頭に入らないというか、とにかく、気持ち悪いです…。」って言ってしまいました。
その後、ゆっくりなだめられながら「普通の子育てをしてください。知的にはとても優秀です。苦手な部分を知的に優れている部分でカバーできるタイプの子です。」とか「1クラスに1〜2割います。」とか「今後幼稚園や小学校に前以て言う必要はありません。」と言われましたが、その時の私にはなんのフォローにもなってませんでした。
だって1クラスに1〜2割いたとしても、残りの8〜9割は普通の子でしょ。
例えば子どもが10人いて、9人はできる当たり前のことを息子1人ができないことがあるってことでしょ。その9人の子達がキラキラした存在に思えて逆に苦しかったです。
ただ、診断名を聞いた時の素直な私の頭の中は
•やっぱりな、なんとなくわかってた…3割
•なんだかわかってスッキリ…1割
•でも認めたくない!…2割
•診断名がとにかくショック…4割
という感じでした。
そして、これからしばらく自分の中にある偏見や思い込み、「普通」への強いこだわりとの戦いの日々が始まるのでした。
全くの余談ですが、
医師からの診断を受けた時、ショックを受けてパニクっているもののどこか冷静に「まさに死刑宣告と同じだな。先生たちも普通に子育てをとか言ってるけど、ショックな診断名だって自覚があるから先に症状を説明して診断名を後回しにした。死刑判決と同じで主文を後回しにした。」ってぼんやり思ってました。
自閉症スペクトラムについて詳しく知らなかった私にとってはそれぐらいショッキングでした。
三輪車
息子が1歳半になった頃、親戚からお古の三輪車をいただきました。アンパンマンの三輪車だったんですが、当時息子はアンパンマンに無関心だったし、状態もいいとは言えないものだったのでちょっと雑に扱っていました。
2歳になってからもイマイチ三輪車には興味を示さず、ストライダーばかり乗っていました。三輪車は偶に乗るくらい。しかも上手くはこげない。なので最近はほとんどのってません。(ちなみに保育園で乗せてもらったシンプルな三輪車はがんがんこいでました)
そんな事情もあって、私の父がアンパンマンの三輪車を分解処分したんです。息子の昼寝中にこっそりと。
すると夜に不思議なことが起こったのです!
夜中、家族皆が寝静まった頃に夢にうなされるようにむくっと息子が起き上がり、泣きながら何もない方向を指差しながら言うんです!
「じじ!まだこれに乗りたい!!」と。
“これ”って何?何に乗りたいの?私が聞くと「三輪車!!」とはっきり言いました。
廃棄したことを知らないはずなのに!?びっくりしました。その後も「さんりんしゃ〜、のりたい!これ!」と何度も言っていました。
結局抱っこしたらこてんと寝てしまったのですが。
おそらく昼寝後に庭に出た時、いつもある場所に三輪車がないことに気がついたんだと思います。
息子は自分思っていることを人に伝えられないタイプの子だそうです。今日はこのこと以外にぐずぐずな1日だったのですが、三輪車がなくなって悲しいとか何で捨てたの?とかは言ってきませんでした。他のどうでもいいことでぐずって夢でうなされるほどショックなら私に言えばいいのに…。でも言えないんですよね。
きっと息子なりに自分の物が無くなったって認識はしたんだろうなと思います。ショックだったんだろうな。
申し訳ないことをしてしまいました。
初めての療育に行ってきました
つい先日、第一回目の療育に行ってきました。
所要時間は一時間ちょっとでした。
療育ってどんなことをするんだろうと私は割とドキドキ楽しみにして行ったんですが、前半30分は心理士の先生と息子とのおもちゃを使った遊び、後半30分ちょっとは私と心理士の先生の悩み相談みたいな感じでした。
遊びの内容は…、息子の目の前に⑴絵合せカード⑵絵本⑶木のおもちゃ (穴の空いた4色の小さい積み木が沢山あって、色ごとに支柱にはめていく単純なもの)を並べて息子に何がしたいか選ばせて先生と遊ぶ、遊び終わったら自分で片付けてまた次のおもちゃを選ぶということの繰り返しでした。上記3つのおもちゃの後は更に⑷ボール⑸おままごと⑹魚釣りのおもちゃが追加されました。
ちなみに息子は⑶→⑵→⑴、⑷→⑹の順で選んで遊びました。
先生からは今日は何を目的にどういった狙いがあってこういう内容の遊びをしました、という説明がなかったので、この内容にどういう意味があったのかは正直よくわかりませんでした。ただ、先生は息子から「もう一回やりたい」「これがしたい」などの意思表示を引き出そうとしているように感じました。
どこの療育センターでもこんな感じなのでしょうか。。。素人で親の立場からすると、「自閉症スペクトラムだからこういう行動をとる」みたいなことを教えて欲しかったです。私がそれを聞くと「今回で言えば、遊びの内容が想像しやすいおもちゃから息子さんは選んでました。そういうことです。」みたいなことを言われました。それってただの好みの問題じゃないのかってちょっと思っちゃいましたけど、その好みにに理由があるってことなんですよね。
幼稚園のことも質問してきました。息子は来年4月から3年保育の予定なのですが、近所のマンモス園にするか少し離れた少人数園にするか悩んでいたんです。息子と似た特性をもつ子を育てている友人は友人の住む地区の療育センターの先生にマンモス園より小規模の方がいいとアドバイスされたそうなので、もしかしたら何かアドバイスしてくれるかと思ったんです。
でも「それはお母さんの判断です」ってあっさり言われてしまいました。まぁ、そうなんですけど。
悩みは解消されず。
加えて「先生によってはやっぱり偏見というか、診断名ありきでお子さんのことを見ますので診断名は控えたほうがいいと思います。」と言われ、園にどのように息子の特性を事前に説明して配慮してもらえばいいのかわからなくなりました。入園予定の園は事前に親の教育方針や子どもの長所短所について書面で提出するシステムなのですが、診断名を出さずに的確に説明できるかどうか…。
初めての療育は親としてドキドキでしたが、息子自身緊張したというか無理をしていたようで(外ズラがいい)、寝かしつけの際はすぐにコトンと寝てしまいました。息子なりにいい子を演じて疲れたんだなぁ。
どんな時でも自分勝手な自分がいた。
夫が亡くなった後、直後はあまりにも突然のことで実感がなく、だんだんと喪失感とか罪悪感とか怒りとかいろんな感情がないまぜになっていきました。いろんな事情もあって怒りが半分以上を占めている時もありましたが…。
とにかく当時は苦しかったです。
でもそんな時に追い打ちをかけるように周りの方に言われたのが、
「子供のことだけ考えなさい」
「これからあなたがやるべきことは子供を成人させることよ」
「恋愛は子供が成人してからよ」
言いたいことはわかるし、そうしなきゃいけないこともわかってるんです。
でも当時の私は自分の人生を子育てだけに費やしたくないというか、それを他人に強制されるように言われたことに無性にイライラしてました。私個人の幸せはどうなるんだろう?子供の成長だけが幸せなのか?(もちろん子供の成長を見ることは幸せですが)と。
周囲からの未亡人は一生独り身でいるべき!っていう暗黙の了解みたいなものがひしひしと伝わってきて疑問に感じていました。
死後半年間くらいは混乱してたというのもあるのですが、
“再婚したい”
“子供がもうひとりほしい”
“女の子を育てたい”
とか自分勝手なことばっかり思ってました。特に再婚したいという想いは強かったです。自分はなんて薄情なんだと自己嫌悪し、それもまた苦しかったです。
普通の人からしてみれば頭おかしい発想ですよね。夫が死んですぐに何言ってんだってなりますよね。
でも後にカウンセラーの先生にいわれたんです。
「よほど旦那様との結婚生活が幸せだったんですね。あなたのその再婚したいという気持ちは誰かと“再婚”したいんじゃなくて、旦那様が死ぬ前の元の状態に戻りたいってことだと思いますよ。それは普通です。」
「周りの人達の意見ははあくまで天気予報、あなたの意見は実際の天気です。周りの人達はあなたの立場を妄想してるだけ。あなたが感じるままが一番正しいです。」
カウンセラーさんは肯定的な意見を言ってくれる存在だとはわかっていたものの、まんまと「私は間違ってなかった!」という気持ちになり、少し気分が楽になりました。単純なやつです私は。
まあ今では再婚したい気持ちは全然ないんですけどね!当時はなんで再婚にこだわっていたのか自分でも謎です。
(交際期間を含めると)人生の半分を共に過ごした夫以上に素敵な人がいるとは思えないし、なにより私と結婚してくれるような夫ほど物好きな人もいないと断言できますね(笑)
ブログはじめることにしました。
どうもはじめまして、コハルと申します。
『死別シングルマザーの憂鬱』なんて暗澹としたタイトルのせいで、どんな重々しい内容のブログかと誤解を招いてしまいそうなんですが、たいしたことないよくある日記です(笑)
きっかけはネット検索です。
約2年前、夫が他界し当時1歳になったばかりの息子を抱え途方に暮れていた時、同じような経験をした人はいないかとネットでひたすら検索をしていました。このショックからどうやって立ち直ったのか経験者の話が知りたい、救われたいと思い質問系のサイト等色々見て回りました。
「20代、伴侶、死別」検索しまくりました。
最近、久々に似たような内容で検索したら質問サイトに日付の新しいものが複数件増えていました。
「結構いるんだな、そしてやっぱりネットに助けを求めるんだなぁ。私だけじゃないんだ。」と思いました。
リアルの友人知人には相談できないこと、わかってもらえない気持ち、やっぱり同じ経験をしてみないとわからないことってあると思います。
夫との死別や息子の発達のこと等、私がこのブログで自分の経験を書くことで、このブログに偶然たどり着いた誰かが「お、似たような経験をした人がいる」「自分の他にも同じように感じる人がいた」「そういうことあるある!」ぐらいに思ってもらえたらいいかなと思ってます。
日々どうでもいいこともたくさん書きます〜。